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会員の活動紹介

ジャズの演奏活動は楽しい

 2019年6月13日(木)ジャズの演奏活動を楽しんでおられる竹林紀久さんを取材しました。

<竹林紀久さんのプロフィール>
 竹林さんは1965年、諏訪精工舎に入社されました。技術部(後の開発部)電子課に配属となり主に水晶振動子の研究開発に従事されました。
 1975年、広丘事業所に移動され技術部に在籍して当初はレジスターの開発、後にターミナルプリンターの開発を手掛けられました。当時、PCの価格がおよそ30万円に対して周辺装置のプリンターが50万円ほどで高価だったのを20万円代と約半額にすることができ、爆発的な販売に結びついて会社の収益に貢献できたそうです。
 1996年にエプソン販売に出向、2001年から中国 ECCの社長を務められ、2004年に定年退職されました。

<音楽活動について>
 竹林さんの音楽活動の原点は、中学三年生の時に観た映画「ベニーグッドマン物語」だそうです。映画の中でトランペット、クラリネット、トロンボーンの三重奏が奏でるジャズに「こんな音楽があるのか」と衝撃を受け、映画館には朝方入館したそうですが、当時は入れ替えなしのため、そのまま食事もとらずに3回続けて観て出てきたときは夕方になっていたそうです。
 ジャズに憧れを持ったものの当時はこれを聞くことができるのはラジオしかなく、番組表をチェックしては耳を傾けてジャズの勉強をしました。
 高校に入り自ら演奏したいと音楽部に入部したものの合唱がメインの活動で、楽器もなく演奏できない状況でしたが、トランペットを持っている友人がいてこれを借りることができたため、独学で練習していました。
大学に入り自分の楽器を手に入れるためデパートの配送のアルバイトを行い、苦労の末遂にトランペットを手に入れることができました。
 大学内の部活にあった「ニューオーリンズジャズクラブ」に入部し、徹底的に鍛えられて上達を果たし、今日の活動の礎を築くことができました。
 会社員時代には当時あった「諏訪精工吹奏楽団」に所属し、メーデーでの演奏やパレード、社員の慰安会での演奏、定期演奏会などの演奏活動を行いました。当時は会社の野球部が活躍していた時期で、上諏訪駅から市庁舎まで優勝凱旋パレードをしたこともあったそうです。
 また、団員の有志で結成したバンドで会社のイベントやクリスマスダンスパーティーなどでも演奏していました。人生の中でも楽しい時期でしたが、その後事業所が増えるのに伴い、竹林さん自身も含めてメンバーの出向や配転などで集まることが難しくなり、自然消滅となってしまいました。
 現在は一般社団法人「日本軽音楽振興協会」の代表理事として若い世代の育成のためジャズ、軽音楽を中心としたマネジメント活動を行っています。
 この協会の創設者で学生時代からの友人の脳外科医、福島孝徳先生が所属するジャズバンドでメンバーが医師で構成された「ODJB」(オリジナル・ドクター・ジャズバンド)にも参加していて、年4回ほど行われる海外セミナーに同行して公演を行っているそうです。
 また「ナインティーウエスト・ジャズバンド」略して「90ウエスト」というバンドに所属し、毎月一回 西荻窪にあるライブハウス「ミントンハウス」で演奏を行っています。
 興味のある方は一度、覗いてみてはいかがでしょうか?
「西荻窪ミントンハウス」http://www7b.biglobe.ne.jp/~mintonhouse/
(取材HP委員 横内隆次、矢島良彦)

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