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会員の活動紹介

安曇野でLPが聞ける昭和レトロな喫茶店マスターやっています

“パウゼ安曇野”カウンターと内田さん

近年、昭和時代の音楽、ファッション、文化が再評価され幅広い世代で人気を集めており、レトロ喫茶や純喫茶など昭和のライフスタイルを体験できるスポットも話題です。
そんな中安曇野で純喫茶“パウゼ安曇野”を開いている“内田祐治さん”にインタビューをさせて頂きました。

<プロフィール>
内田さんは『1982年に諏訪精工舎に入社、W外装調達課に配属され、87年からTPL(後SEP)シンガポールに赴任。その後EPJマレーシア(ウオッチケース工場)に移り、93年からは諏訪本社生産本部・調達企画で当時の東証1部(現プライム市場)上場に向けたJプロに参加、99年から選択定年で退職した2014年までエプソン販売(当時:西新宿)で販社の調達取引先管理部署立ち上げに関った。』とのことです。

<喫茶店をやるのは高校のころからの夢>
高校卒業の頃から喫茶店をやりたいと考え始めていた、とのこと。
『高校に入って間もなく通学途中に喫茶店があり、友達とコーヒーを飲みながらたわいのない話で盛り上がったり真剣に議論したりと時間を忘れて過ごせる、こういうお店をやりたいなと思うようになりました。
ただ、そう考え始めた当時から喫茶店では食べていけないだろうとは感じていましたので喫茶店を開くのは定年後で店はそんなに繁盛しなくても食べてはいけるように勤め人のときに稼いでおかないと、と考えていました。』

<コーヒーだけ淹れる喫茶店に>
『開業する際にはコーヒー以外の飲み物、軽食などのメニューも考えましたが店は一人でやることを決めていたし、この店近くの通りが「グルメ街道」と言われるくらい飲食店が多いので店で提供するのは得意なコーヒーだけとしました。
喫茶店に来てもらえる方には出来るだけ薫り高い美味しいコーヒーを提供できるようにいわゆる「3たて」:「煎りたて」「挽きたて」「淹れたて」に拘っています。』
パウゼ安曇野にはいろいろなコーヒー器具があり、これらは開店時に一機に揃えたのではなくサラリーマン時代に少しずつ揃えてきた、とのことです。
『高校のころからコーヒーを自分でも淹れて飲むようにもなり、自然といろいろな淹れ方を試し器具も揃えてきました。 豆は大体10種類くらいを生豆で仕入れて自家焙煎し、お客様からの注文後挽いています。コーヒーの淹れ方にはドリップ式(ペーパー・ネル)、エスプレッソ式、サイフォン式、水出し式、パーコレーター式等があり、それぞれ楽しみながら覚えてきました。
店ではお客様からの指定がない限りネル・ドリップ式で淹れていますが、これは入社してからずっと通っていた上諏訪にある喫茶店“パウゼ”の“おじさん”(マスター)から、「ネル・ドリップ式が一番まろやかで美味しいコーヒーを淹れられるよ。」と教わっていたからでそれを実践してきています。』
『また信州の寒い冬、コーヒーと音楽を楽しんでもらうなら炎を見ながら温もりも感じてもらえるように大きめの“薪ストーブ”をかなり頑張って設置しました。
おかげで真冬でも足元から暖かく過ごして頂けます。』

<オーディオ装置へのこだわり>
店では心地よい音も楽しんでもらえるようにオーディオ装置も拘って揃えていてお客様の中には自分のレコードやCDを聞きいてみたいと持参されてきたこともあったとのこと。
『オーディオは気に入っていたものを中古ショップに足繫く通い揃えてきました。
アンプは真空管式マッキントッシュがあったのですが、開店後間もなく壊れてしまい修理もままならず困っていたところ、知人からオーディオ修理で有名な人がたまたま東京から安曇野に移住されているとの情報を得て相談したところ、真空管式で同性能のオリジナルアンプとして修理作成してもらえる、という幸運に恵まれました。』
このほかスピーカーはJBL4344M、プレーヤーはExclusive P3(Pioneer)CDはESOTERIC(TEAC)とハイエンドオーディオ機器が設置されています。
それぞれの機器入手にかなりの苦労があった、とのことでした。

(今や貴重とも言えるハイエンドオーディオ機器のコンポーネント)

<昨年(2024年)開店10周年になりました>
『お店での提供をコーヒーだけにしていたので、2020年に緊急事態宣言があったコロナ禍で売上が半分以下になっても(元々少ない売上げでしたが)捨てる食材がなく(コーヒーも生豆で約100gずつしか焙煎しないので、無駄になりませんでした)、従業員もいないし家賃もかからないので、国や市の給付金で何とか乗り切れました。
それより危機だったのは開店から一年もたたない2015年2月に「ギラン・バレー症候群」という十数万人に一人という難病に罹ったときです。手足が痺れて立てなくなって救急車にも初めて乗りました。人生初入院で38日間、リハビリ含め3か月以上店を休まざるを得ませんでした。結果的には後遺症もなく完全に治り、この時も運が良かったと思っています。その年には小学校時代から続けていたサッカーも出来ませんでしたが翌年からは復帰できました。』

<今後について>
『趣味で続けているサッカーは小学校の終わりから始めて中学、高校では長野県ベストフォー、社会人では長野県リーグ3位が最高でなかなか県の壁を破れなかったのですが長く続けてきたおかげか2008年に50歳代の全国大会に長野県代表で出場できました。
また2017、18年には60歳代の全国大会に連続出場ができました。今は2年後の70歳代でも全国大会出場を目指して準備中です。』
『そろそろ同級生や同期が仕事をリタイヤして時間が出来る年代になってきたので「パウゼ安曇野」がみんなのたまり場として有効活用してもらえるように、店とサッカーをできるだけ長く継続していきたいと思っています。』

<インタビューを通して>
インタビューをしているときに居合わせたお客様から「この店はいつ来ても落ち着いて過ごせる。また来ます。」と言われていました。
薫り高くまろやかなコーヒーと今や貴重なオーディオ装置で聞くことが出来るLPレコードやCDの音色とでゆったりとした“昭和レトロ”感を味わいたい、と思われた方は安曇野方面に来られた時に、寄ってみてください。
“パウゼ安曇野”は安曇野インターチェンジを出てすぐ(車で約2分:GoogleMap、YahooMapでの検索可)のところにあります。

取材HP委員 井駒敦志 加瀬裕之

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